勝林寺 人と暮らしの間にあるお寺

田沼意次のお墓

田沼意次侯のお墓までのご案内(俯瞰図)


門をくぐり、本堂右側を直進、突き当りを左折、水屋を右側を進み右折する。
一番背の高いお墓です。

田沼意次侯 墓所

正面が田沼意次侯の御廟となります。
戒名は隆興院殿耆山良英大居士(リュウコウインデンキザンリョウエイダイコジ)

右側が田沼家男系の合祀墓。左側は田沼家女系の合祀墓。
勝林寺が、文京区蓬莱町(現、文京区向丘二丁目辺り)から移転した際に本来一基づつであったお墓が 合祀されました。

田沼意知の戒名は仁良院殿孝嶽元忠大居士(ニンリョウインデンコウガクゲンチュウダイコジ)

御朱印

御朱印画像

田沼意次侯特別御朱印は大判で萬民和樂の文字を入れさせていただきました。
経済が繫栄し文化が花開き平和な世に民が幸せな生活を送っていた田沼時代をあらわしております。
田沼時代に流通した南鐐二朱銀の表面が押されています。牧之原市にある平田寺さんには裏面が押されて、対になっております。

勝林寺御朱印には本尊が釈迦如来像であるため、南無釈迦牟尼仏と書かれております。
本尊釈迦如来像は平安初期の木彫像で関東最古級とされております。

意次侯の勝守
勝林寺の『勝』をとり、勝負事での成功を祈願するお守りです。
菩提寺である勝林寺は、意次侯にちなみ、お寺に所蔵の肖像画の着物の色と七曜紋をあしらったお守りを制作し祈願させていただきました。中には意次侯のお札を封入しております。
勝林寺の中興開基である田沼意次侯は、江戸時代中期の財政を発展させ日本経済の礎を成した人物です。
そのおかげで戦のない平和な世の元に文化も隆盛し良き時代となりました。
意次侯にあやかり皆様の勝利・成功をお祈りいたします。


蓮の実守
勝林寺で花咲き実を結んだ蓮のタネが入った御守りです。心願成就の願いが込められております。
蓮のタネは、二千年経っても芽を出すといわれ、古代蓮は古墳から発見され花を咲かせました。そんな力のある種を封入しております。
皆さまの心の願い・努力が実を結びますよう祈願させていただきました。
お守りの役目が終わりましたら、中のタネを植え育てていただき、花を咲かせていただければ幸いに存じます。
どんな色の花が咲くかは、お楽しみにしてください。